Introduction

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2010~2012プロアドベンチャーレースチームTeam EASTWINDメンバー(トレーニング生)として活動、2012年9月選手引退。 アウトドアライフ・スポーツの様々な楽しみ方、大会・イベント情報、和木香織利の私生活(IN&OUTDOOR)日記。2013年6月11日、第一子の女の子を出産し新たな人生のステージが始まりました。
Ex-Adventure Racer of Team EASTWIND(2010-2012), officially retired as a racer in September 2012. Introducing ways to enjoy outdoor activities, race and event information, and my private indoor&outdoor daily life.

2013年3月28日木曜日

妊娠26週目(7ヶ月)なう

早いもので、妊娠生活もあと残り3ヶ月。
今日は助産院での検診、妊娠前から体重は+6kgだった。

妊娠中とはいえ、一般的に7ヶ月目の赤ちゃん=1100g・羊水=600ml・胎盤=300gなので妊娠による体重増加は2kgほど・・・
2月は1ヶ月で体重を一気に3kgも増やしてしまい、助産師さんから「厳重注意」を受けていた。
しかし今日の検診は合格、今月は600g増えただけだった。一安心・・・

出産までに+10kg以内におさめれば問題無い。(お産に影響はないらしい。)

さて、今日は常に身につけていた大事なモノを外さざるを得なくなってしまった。
婚約指輪と結婚指輪がついにきつくなってしまった。

出産が終わって体重が元に戻るまでは付けられないかな。

ここ1~2週間でお腹も突然大きくなってきた感じ。
しゃがむとお腹がつっかえて、確実に身体が動きにくくなっている。
(座ったり立ったりするとき、「よっこらしょ」とつい言ってしまう 笑)

胎動も激しくてなってきていて細かい動きでも感じるられるようになり、元気に動いている証拠で毎日私を安心させてくれている。

3月19日、25週目@タイのカイ島にて


2013年3月25日月曜日

秩父・丸山 胎教登山


3月はじめ、日頃からお世話になっている友人夫妻と4人で秩父は丸山(960m)へハイキングへ出かけた。
妊娠24週、体調もかなり安定しており久しぶりの山! 
4時間の行程でのんびりと登った。

芦ケ久保駅(317m)に車を停め9:10にスタート、果樹公園村→山の花道→県民の森→丸山山頂→大野峠→芦ケ久保駅の周回コース。

芦ケ久保を出発して否や、酷い杉花粉症の私は早速くしゃみを連発。
そのときはこの日の登山が地獄と化すとは予想もしていなかった・・・

天気も良いし、山サイコー!

スタートから30分後、果樹公園村の長いローラー滑り台に到着。楽しい!

「目が痒い~、くしゃみが止まらな~い、鼻水が止まらな~い」
それもそのはず、この季節の秩父は花粉地獄!!
山から出ている黄色いモヤはすべて花粉・・・

元気に見えるけど、全員花粉の猛威にやられている

山頂付近の残雪


11:30山頂到着!

この時既にメンバーの花粉許容範囲を越えており、全員が苦しんでいた。
とにかく一刻も早く下山して温泉に入りたかったため、山頂を折り返して来た道を戻るルートへ変更。

午後になると風も出てきて、下山中は花粉は更に飛びまくって私たちを苦しめた。

天気の良い日曜日なのにどうもハイカーが少ないなぁ、と思ったらこのせいなんだと納得。
普段はそんなに酷い花粉症ではない私の夫も、この日ばかりは相当苦しんでいた。
シャツ、ザック、身につけていたものすべてが黄色い粉で覆われていた。

その名の通り「一目散」に下山。

13:30芦ケ久保駅ゴール

花粉地獄だったけど、やっぱりハイキングは楽しい!
花粉の季節が終わったころにリベンジすることを心に誓った一日。

2013年3月13日水曜日

冒険家の八幡暁さんが書いたこと~ 先日のシーカヤック事故について

たまたまフェイスブック上で、私の友達が八幡暁さんのコメントを「シェア」しているのを読ませて頂いた。
内容は、2/17に帰らぬ人となってしまった私の友人でありアドベンチャーレーサーの芝やんとナディの事故を受けてのこと。

私は八幡さんとは直接お会いしたことはないけれど、ロマン溢れる有名な冒険家。
いつかお会いしてみたい人物の一人。
(幸い共通に友達は沢山いるようなので、いつか必ずお会い出来ると信じている。←とアピールしてみる!)

友人二人が命を落とした事故、残された我々はどうすればいいのか。
「事故がありました、皆さんも気をつけましょう。」
「気を付けて!」という言葉は、とても曖昧であまり良いアドバイスで無いと思う。
どう気をつければ良いのかと、具体的に示すのが良いアドバイスだと思う。
再発防止のために、シーカヤックを禁止する?
答えにも、解決にもまったくなっていない。

そしてニュースでは一面の情報しか流れず、皆が聞きたいような情報しか流さない。
今回の事故では、「注意を促したのに・・・」「注意報が出ていたのに・・・」と、直接は言わないけどニュースを見ている人へ与える印象は「故人が無謀なことをした結果」というまでになってしまう。

本当は何があったのか、真実はニュースだけでは到底分からない。

とてもとても大切で、是非多くの人に読んでいただきたいことを八幡さんが書いてくださった。
アウトドアをやる人もやらない人も関係なく、皆が考えるべきことだと思う。
生きていく上で大切なことだと思う。

八幡さんに是非私のブログにて八幡さんのコメントを紹介させていただきたいとお伝えしたところ、八幡さんは快くOKしてくださった。

******八幡さんのFacebookより*********

今日は、とても大切な話です。

先日、浦安でカヤッカーが2名遭難し、帰らぬ人となりました。
1名は、直接、関わったことのある方で、素晴らしい男性でした。
本日がお葬式とのこと、心よりご冥福をお祈りします。

そして、改めて思います。
事故が起こるたびに、残された人は何を心掛けるべきか、
何を今後に伝えるべきか、と。

2人が、どういう状況に陥ったかは、誰にもわかりません。
世間に出てくる情報は、いつも一面です。

「注意報が出ていたのに…」
「現場は漁師も出ないような強風でした…」
「止めたのに…」

つまり、当事者が無謀だった、で済まされて終わります。
そうじゃないですよね。

万人に共通した危険の基準はありません。
個人の能力も全く違います。

彼らにとっては、無謀でなかった可能性もりありますし、
事故の原因が、荒れていたことと無関係の可能性もあります。

求められるのは、自分の能力と、現場の状況を照らし合わせて、自分で判断すること。誰かが指摘したらか、やるとか、やらない、を判断するものではありません。

だからこそ、自分のものさし作る練習を徹底します。
これは自然で遊ぶことにだけ当てはまることでなく、全ての日常にあてはまることだと思います。

残された人は、さらに自分で考えて、判断する力をつよう。
これが事故から学ぶことではないかと思います。
それでも事故は起こります。

すると。。。
波が3メートル以上のときは、海に出るのを禁止しましょう。
そんな話が出てきます。

3メートルの波を、どうやって乗り越えられるのか。
それを考えて、試行錯誤していく行為自体が、
とっても素晴らしいことなのに、です。

当然、注意深い人もいれば、そうでない人もいます。
その見分けはつきません。
(少なくとも2人は、注意深い方達でしたが)

それでも、禁止してはいけないと思います。
ルールは、人の可能性を押しとどめてしまうので。

医療も、ITも、遊も、全て一緒で、
こうした行為の積み重ねの上に、
わたし達の便利で安心できる暮らしが成りなっています。

彼らは遭難した、けれど非難されることなど何もありません。
むしろ、最後までよく頑張りましたね、と伝えたいところです。

残された親族の方々は、悲しいと思います。
でも、彼らは最後までやりきって、大事なことを残した、そう声をかけてあげたいと思います。


******(数日後の投稿)*********


自ら事故を未然に防ぐこと、そして残った者のこと。

自己責任の意識が、事故の質を変えると前回書きました。
(なくなることはありません)
これは、当事者の理屈で何でもやっていい、相手にしてくれるな、
というものではありません。

自分の命、過去から続くご先祖、自分の関わりのある人達、迷惑をかけてしまう可能性のある人達を担保に、どうすれば、その可能性を徹底的に減らせるかと考えて、行動することです。

失敗したときの、そうしたリスクも含めて自分が受け止めて、
そこから踏み出すことが、自己責任だと認識しています。
(それはやらない、という決定も含め)
この心持ちが、確実に事故を減らします。

それって結局、自分勝手だよね!?
事故があったのだから判断が甘かったのでは?
その通りだと思います。

最後は、自分で判断するしかありません。
なので、自分勝手です。
自分でない誰かに判断を委ねることではありません。
事故は、必ず何からのミスで起きます。

自己責任をもって挑む人は、
命を粗末にしているわけではありません。
むしろ、考えて真剣に取り組んでいます。
(今回の事故は、そうしたお二人だったと推察します)
だからといって、事故を正当化するものとして書いているわけじゃないんです。

これは、ルールの中に留まる危険性の話にも繋がってきます。
ちょっと話しがそれます。
前回、事故によって作られるルールに関して、
必要ないと書きましたが、言葉足らずでした。

規定や制度が、事故防止を目的とするものでなく、
自分、相手、それぞれの立場の責任回避の手段として使われることが多く、それではいけない、という意味で書きました。

規則を守っているのだから、わたしには非はない、
あなたが規定を破ったら、こちらに非はない、
この構図はとてもわかりやすい。
なので、採用されてしまうのかもしれません。

自分の非を認めたくない、出来るなら隠蔽したい。
どんな立派な人でも、残念ながら自分も、そうなる気がします。
スポーツ選手のドーピングも、政治家の汚職も、企業の粉飾も、おそらく、悪い人が起こしているのでなく、普通の人かと思います。

事故が起きた時の、基本の対処、すぐ緊急連絡する、があります。
何故かこの初動を起こせないことが多い。
その理由は、こうしたことが根本にあるように思えます。
自分は出来る思っていても、当事者になると、やっぱり出来ないのかもしれません。

話がそれました。

こうした規定は責任回避に使われ、事故防止になるどころか、
やっぱり規定の中でも事故は起きてしまいます。
その原因の一つは、個々人が考えることを止める、からかもしれません。
何も考えなくとも、事故が起きない段取りなので、
規定以外の変化に気づけない、ということ起こります。
また人間なので、人によるエラーが起きす。
これもなくなりません。

そうすると何が起きるのか。
どんどん責任回避方法ばかりが洗練され、
世の中は、必ず縮小していきます。
だって、訴えられたら終わりですから、と。

それは、根本的に解決を遠ざける行為です。
想定とは、頭で考えうるまでのことしか、射程距離に入っていません。
ほとんどの事故は、頭でイメージ出来ない状況に陥るから事故になるのです。

繰り返しになりますが、
現場で必要、有効なのは、責任を持って考え抜く意思です。

そんな正論いったって、
失敗すれば、誰かの迷惑でしょ、周りは迷惑、という方もいます。
そうだと思います。
でもそれは、生きている側の人が受け止める、支えるべきことだと思います。
手を伸ばせる人は、伸ばす。
(伸ばさない人を非難するものではありません)

全ての人が、誰かに迷惑をかけ生まれてきます。
人の手を借りながら成長し、いつしか誰かを助けられるようになる
最後は、また誰かの手を借りて人生を終える。
これは普通のことです。
俺だけは、誰にも迷惑をかけない、という人は一人も居ません。

人はそうやって何千年も生きてきたから成り立っている。
これは、とても重要なことだと思います。
だから、困った人を助けるのは、自分を助けることでもあります。
シーマンシップという言葉がありますが、そういうことです。

偉そうに聞こえたらすみません。
こうしたことは、わたしがわかったようなことを言っているのでなく、
とっくの昔に先人達、先輩方が言っていることばかりです。

有能、有益な活動だったら助けるけど、無謀なやつの為に助ける必要なし、そういう方もいます。
でも私はそれは違うと思います。

社会にはいろんな人が生きていること自体が豊かさとも言えます。
無謀な経験をした者が生き残ることで、
その後、大きな変化の切っ掛けになることもあります。
だいたい、その時代、有能だと判断できる人ばかりが生き残れるのは、いい社会になるのか?

だって、僕自身、有能ではない。
社会の役に立たないことばかりしている。
だったら居ないほうがましか?となってしまいます。
(そうだ、と言われるかもしれませんが)

助けることが出来る人は、助ける、がベストな気がします。
様々な視点を持って生きる人が多い社会こそが、全体としてのボトムアップになるからです。

その時代の多くの人の社会通念から飛び出して
(その時点で、無謀に見えてしまいます)
可能性を探求する試みは、とても大切なことです。

今の暮らしは、その時代、時代の「無謀な試み」の積み重ねの上に成り立っていると考えれば、誰が無謀だったか、というつるし上げは、本当に意味がないと思えてきます。

事故は未然に防ぎたい。
それは、誰もが願うことです。

だからこそ、何も情報がないままでの表面的な見解でなく、
今後に繋がる検証と、省察、対策を考えるべきかと思います。

実は、今回の事故、しっかり知りたいので教えて頂けませんかと芝田さんの関係者にお願いしました。すると、もう関係者で情報収集して、ミスも含めて考えられる検証を進める方向で動いています、しばしお待ち下さい、との返信がありました。

あぁ、やっぱり、と思いました。
芝田さん、そして砂田さん(面識はありませんが)このお二人の周りには、しっかりした見識のある方々がいるのだと思いました。

今回の事故は、今後、残った人の多くの命を救うことになると思います。 

稚拙な言葉、偉そうな理屈、長文、失礼しました。
自分自身に向けた反省でもあります。

恥ずかしくも書き残しておこうと思います

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