冒険することは人を成長させる。
冒険することは勇気がいると思う。なぜなら、冒険とは未知の世界に足を踏み入れることだからだ。
人生はまさに冒険の連続だと思う。しかし、冒険するもしないも自分次第でもある。
新しい人生のステージ(未知の世界)に踏み込むか、そうしないか・・・
私は自分の今までの人生がそうだったように、これからも死ぬまで冒険を続けたい。
そんな思いで、自分の生活や人生の冒険について書いていこうと思いこのブログをスタートさせた。しかし、実際には良くも悪くも「アドベンチャーレーサー」としての自分が後ろ髪を引いたせいか・・・ プライベートを公表することは自分だけのことではなく、家族も、友人も巻き込むことになるのでものすごく気を使わなければならない。
大雑把で面倒くさがりの私は、細かいことに気を遣うのが大の苦手なのでブログを書くのがとてもとても億劫になってしまった。。。
しかし今、久しぶりにブログを書くurgeに駆られている。
実は私は今、妊娠4ヶ月目の半ばに入る。
まさに、新たな人生の冒険が始まった。
11週3日目の超音波写真。写真を取るたびに、お腹の子が愛おしくて堪らない。
「安定期に入るまで、あまり公に言わないほうがいい」
「生まれてから皆に報告すればいい。それまで何が起こるかわからないんだから。」
周りからはそんな言葉(アドバイス)を数々と頂き、その度に違和感を覚えていた。
一部の人や、直接お会いした人には妊娠のことを伝えてきたが、有耶無耶な気持ちでブログ書くことを躊躇っていた。
公にしないほうがいい理由は私にもよくわかる。
確かに、生まれて来てある程度経つまでは様々なリスクがあるので、あまり公言しすぎて「万が一」のことがあった場合、周りも心配するだろうし自分も気まずい思いをするだろう。
でも・・・
これはまさに妊娠・お産に対する勘違いや、日本の産婦人科の医師が減少して、お産の状況の悪化に繋がっているのでは?と思っていた。
諏訪マタニティクリニックの根津八紘病院長が書いた「ほーかい 退屈知らずの我が人生」を読んで確信してしまった。先生は日本初の「減胎手術」、「非配偶者間体外受精」、「代理出産」を行った方だ。詳しくはこちら。
私は一妊婦としてこのブログを書かずにはいられなくなった。
昨年9月、親しい友人から「友達お父様が持っている別荘が八ヶ岳にあるから、遊びに行こう」と誘わた。その「友達のお父様」というのが根津八紘先生だ。
運良く別荘で先生ともお会いすることができて、別荘の広大な敷地を先生自らが案内してくださった。広大な敷地はまさに「美しい自然」に囲まれた、本当に素敵なところだった。
そして先生の遊び心が感じられる、個性的な石碑なども見るものを楽しませて(笑わせて)くれた。
その広大な敷地は先生がただ別邸として持っているのではなく、障害を持った子供たちが遊びに来れる場所にしようという壮大な計画をお話してくださった。
ほんの1時間ほどだけお会いできたのでそのときはいろいろなお話ができなかったが、当時これから結婚してすぐにでも子供を妊娠したいと思っていた私は、当たり前だが先生の専門分野にとても興味があり、「色々とお話をお聞きしてみたいな」と思っていた。
前置きはさておき・・・
私は前から、妊娠して例えば流産してしまったらそのことは隠すべきなのかな?と疑問に思っていた。そういう事実こそ、周囲に伝えるべきではないのか?
でもあまりその心の内は口に出さないようにしていた。
ものすごく悲しいことだし、もし現実に自分に起こってしまったら、その時どんな辛い思いをするのか想像もつかないからだ。それに普通だったら周囲に言いたくないことだ。
「無事に生まれることが当たりまえ」
実は私も心のどこかで、「流産、死産、難産はありえるけど、そんなに簡単に起こることではない。自分は大丈夫だろう」と思っていたし、世間の認識も基本的にそうなのではないだろうか。
だからこそ不幸なことが起こったときに患者の矛先はまず医師になってしまうのではないだろうか。
悲しいことが起きてしまったら本人は公にはしないだろうし、語りたくもないことだろう。
「ほーかい」の第一話のタイトルは「産科医はいなくなる?」
産婦人科医になって40年、緊急事態への対応を念頭に置いてこれまで2万人あまりの妊婦さんと関わってきた根津先生でも予知が不可能な事態(本では臍帯真結節のことを話していた)は起こり、そのときは医師3人、助産師3人、看護師10数名を動員し、消防署や諏訪日赤病院の新生児集中治療室の医師を巻き込んでの顛末だった。
2006年には羊水栓塞症で妊婦さんを亡くされ、2004年には分娩時の脳内出血が原因で寝たきりになった患者さんの家族から問題提起を抱えていて「産科医をやめようか」と思っていた矢先に、追い打ちをかけられるように臍帯真結節の一件が起きた。
「『お産は正常が当たり前』『自然分娩が当然。誘発分娩なんかもっての他』という昨今の風潮。現場の医療者は『とんでもないこと』と思っても、巷の人たちには通じなくなっています。
お産が好きで、仕事に誇りを持ってやって来て、スタッフも設備も自負していますが、このような症例に遭遇するたびに、産科医を辞めようと思います。でも、そのような救急医療に意気を感じ産婦人科医となった私。結局のところ、今も産科医療を続けているのが現状です。
不可抗力下で起きる症例に24時間体制で臨んでいる産科医療に対する世間の認識が変わらない限り、また、出産を国家的な事業として考えない限り、日本から産科医はいなくなることでしょう。」
私はこの第1話だけでなく、本すべてを読んでみて日本の産科医療の現状を少しだけ理解できた気がする。
私が今回の妊娠で初めて産婦人科で診察を受けたのは妊娠8週目のときだった。
診察後に助産師さんからのお話での第一声が、
「横浜市のお産の状況、大変悪いです。」
「お産を受けてくれる病院が減っていてすごく少ないので、当院も(私の予定日時期は)既にベッドが一杯です。ですから一刻も早く分娩するところを見つけて予約なさってください。」
それまでそんな状況だとは全然知らなかった。
その時何故なんだろう?と疑問に思わずにはいられなかった。
後に「出産難民」という言葉を知り、ウィキペディアにも分娩を行う産科の減少の理由が書いてあった。
私が出産を予定している助産院(先に書いた初診を受けた産婦人科ではない助産院)に初めて訪ねた際、助産師さんと話している真っ最中に妊娠7ヶ月に入るまさに「出産難民」の女性が、とても困って焦っている様子で訪ねてきた。
こんなことってあるんだ、と正直驚いたと同時にまたもやお産の悪状況を目の当たりにした。
私の知っている限りでも、流産や死産を経験している人は少なくない。
お産は正常が当たり前ではないし、調べれば調べるほど、産科医にとって不公平な負担の大きすぎる状況で現在もお産を行ってくれる産婦人科医がまだ存在していること事態、妊婦にとって、その家族にとって物凄く有難いことだと思う。
私は一妊婦として、この状況を少しでも多くの人に知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにした。そしてもし自分の身に不幸なことが起こっても、隠さないで状況を公開していこうと思う。
自分の子供を亡くすことほど辛いことはない。
もし、自分の分娩時に悲しいことが起こってしまったら誰かを責めないではいられなくなるかもしれない。
「お産は正常が当たり前」と勘違いしていれば、なおさら「よくあることで仕方がないこと」だと受入れるのが難しいと思う。
産科医の責任という場合も有り得るかもしれないが、そんなときに責任と誠意を持って理解するまで説明・対応してくれる医師を患者も選び、信頼できる医師を選ぶべきだと思う。
(と、言っても選べる状況ではないのが現実だが、その原因は間違えなく患者にもある・・・)
安心して妊娠・出産できる状況を作るためにも国もそうだが私たち患者自身も、妊娠・出産に対して正しい理解と認識をする必要があると思う。
それが分娩を行う産科医をこれ以上減らさないために、私たちにできることの一つなのでは、と思う。
ワッキーと旦那様、妊娠おめでとうございます。さらに新しい人生を切り開いてゆくのって素晴らしい! ブログに書かれている「周りの人に理解されないということ」もよく知っています。 妊娠から出産とうイベントは母体と退治の両者にとってある種の危険が伴うという認知教育は日本では遅れていると思います。人間というのは日本足で立ち上がったせいで、恥骨の形が変化し、他の哺乳類に例を見ないほどの難産をする動物なんだそうです。
返信削除また、残念ながら流産をしたという友人が2名いましたが、そのうちの一人は、妊娠から流産のことを隠さずそのまま正直に知らせていました。それを聞いた僕らは妊婦の悲しみや苦しみの少しだけでも共有することができたせいか、お互い前に進むことが速やかにできた気がします。
ちなみに僕ら夫婦の場合、妊娠から出産までカリフォルニアで行いました。夫婦二人で参加する「妊娠、出産のクラス」にも通ったおかげで正しい認識をもち、その時々に適切な対応ができて、結果的に健康なベイビーが生まれてくることができました。出産時にベイビーの頭がなかなか出てこれなかったので、出口の円周をハサミで2cm位切って穴を広げ、そして出てきました。それで医師も、妻も、僕も、ベイビーも全く問題無し。
日本と異なる点は幾つかありますが、その中でも僕が大事と思うことをシェアさせてください。それは「全ての行程を夫婦で共有する」ということです。お産のクラスは全ての日数参加したし、定期検診は医者がどんな診察をしている時も僕は横についてて、出産時の立会いは看護師と同じ距離で、そして退院に至るまで全てです。このような旦那の付き添いは医師の方も歓迎してくれているので3者はいつもフレンドリーな雰囲気なのです。僕は男だからいくら頑張っても妊婦が経験する素晴らしい体験をすることはできません。しかし考えられる限りの行動を共にすることによって、できる限り妊婦に近い体験ができるかもしれないという好奇心から妻をサポートしました。妻もそれを望んでいたしね。
いずれにしろ、二人で妊娠したのだからそのあとの行程も共にするのは悪くないはずなのだが、日本では別々というのが習わしみたいなので、僕自身はそれって変だと思う。
旦那から妊婦さんへあらゆる面でのサポートも大切ですよね。旦那さんがラマーズ方を知っているだけでも医師に勝るサポートになるかもしれないし!
ワッキーがんばってね!